2009-11-18 第173回国会 衆議院 文部科学委員会 第2号
京橋のフィルムセンターは三百六十五日、毎日上映をされていて、大変皆様に親しまれていると聞いておりますが、私どもの地元の相模原のフィルムセンターに関しても、ぜひまた上映等も検討いただき、地域との共同作業でまた芸術文化を発信していただきたいと思っておりますが、それに関して最後に御質問させていただきます。
京橋のフィルムセンターは三百六十五日、毎日上映をされていて、大変皆様に親しまれていると聞いておりますが、私どもの地元の相模原のフィルムセンターに関しても、ぜひまた上映等も検討いただき、地域との共同作業でまた芸術文化を発信していただきたいと思っておりますが、それに関して最後に御質問させていただきます。
○橋本(文)分科員 ところで、それでは五十九年九月三日、フィルムセンターが一部焼失する前の状況なのですけれども、これはたしか月曜日から金曜日、毎日上映されておりました。その焼失した席は二百席に満たないと伺っておりますけれども、これは上映するフィルムによって違うと思うのですけれども、いわゆる入りといいますか、これはどうだったのですか。
だから、そういう意味で、ぜひこの原爆映画——やる場所はちゃんと協会の万博ホールですか、なかなかいい設備もあるわけでして、それを毎日上映するというほどまでやらぬでも、いろいろな催しものの間に、適当な説明をつけて、そうしてこれを上映するということは、私はこの七〇年の日本の万博に非常に一つのしんを入れるものだというふうな感じを持っておるわけです。
たとえば、南京が映畫館を六つもつていたのに對し、重慶は連日爆撃を受けながらも、なおかつ八つの映畫館をもつて、しかもそれを毎日上映していたのであります。